今日、退院の可否を伝えられ、明日退院と思っていたら、午後2時半ごろ電話があり、医師から退院の許可が出たので3時から4時の間に退院してください、とのこと。今日一杯で発症から10日間が満了。今日判断が出て明日退院と思っていましたが、間違いないですか?と聞くと、間違いないです、とのこと。慌てて荷物をまとめる。3時半に係員の方が部屋にきて、1階出口まで誘導、1週間ぶりに外に出た。おっ!ちゃんと歩ける。スーツケースを引きずりながら、仙台駅前のバス停に向かう。やっぱり娑婆の空気はいいね。10分超歩いて、停留所に到着。出発の4時半までは40分ほどあるので、ベンチに座り本読み。普段読めないので、久しぶりの読書です。時刻表通りにバスが来て、川崎町のバス停まで1時間10分ほど。帰ってきました。
先週20日(土)に会った知人から23日(火)の晩、「新型コロナ陽性になった」との連絡があり、私も体温を測ってみると、なんと38.1℃。翌朝も38.2℃だったので、急遽、刈田総合病院の発熱外来に連絡、その日の午後1時半に抗原検査を受けることにした。結果は陽性。そして今日27日(土)13:30に仙台市の宿泊療養施設に到着、9月2日(金)まで施設の個室から出ることができない半隔離状態が続く。今後の参考までに私の新型コロナを暫し記録してみることにした。報道でも確かに聞いてはいたが、新型コロナに付ける薬は無いらしく、陽性診断後、病院で処方されたのは解熱鎮痛剤5錠のみ。痛みがひどいときに服用とのことだったが、結果、最も喉の痛みと咳がひどかった25日の夜中は服用せず。それでも翌朝以後は無事平熱に戻り、喉の痛みも和らぎ快方に向かった。軽症にとどまり、とりあえずホッとしている。
約2年余り前から、宮城県川崎町の自宅と同県大河原町の職場まで車で片道35分を毎日往復しています。車通勤なので、昔みたいに仕事帰りにチョット一杯というわけにもいかず、全くの家飲みおじさんに成り果ててしまいました。そんな中、ちょっとした楽しみを見つけています。大河原町からの帰宅途中に村田町を通過するのですが、スーパー、ディスカウントストア、ドラッグストアが並ぶ通りがあります。その中の1件に石巻の鮮魚屋さんがテナントで入っていて、美味しいお刺身などが、この地で手に入るんです。帰宅途中ちょっと寄ります、、、、今晩はありました、ありました石巻産ヒラメのエンガワです。このプリプリした感じたまらないでしょ。
私のヒラメのエンガワについての思い出。
社会人になって初めて住んだ地が千葉県船橋市。津田沼駅から東京都中央区の京橋駅まで確か片道1時間程度の通勤時間。仕事が終わってまっすぐ4畳一間の寮になんて帰れません。津田沼駅界隈に見つけた1件の、あの頃で言うスナックに寄ります。そこのマスターが釣り好きらしく、その日の釣果を惜しげもなく、ヒラメ本体はもとより「今日獲ってきたヒラメ、エンガワ美味しいよ」と、この私めに出してくれたのです。それが、私にとってヒラメのエンガワとの初めての出会い!。その触感と味に無茶苦茶感激しました。それ以来、ヒラメのエンガワを見ると、社会人になりたてで初めて口にした「ヒラメのエンガワ」の思いがよみがえってくるのです。
東日本大震災をきっかけに設営したトレーラーハウスの事務所も10年を超えて、あちこち傷んできました。今日は玄関の階段のメンテナンス。木材の腐食が進んでボロボロになって、気になっていたので、今日一気に進めました。単に木材の張替えと、小階段の作成と、大したメニューではないのですが、昼を挟んでの半日仕事となりました。普段使っていない(無い)筋肉を使ったようで、体の節々が傷んでいます。
そして、ガーデンあるべろでは今年も野菜が豊富です。朝食は自前で取れた野菜のピザトーストです。
令和4年7月25日(月)
宮城県栗駒町へ苔の観察。関西では寺社の庭園に苔が多く利用されているらしい。一方、東北地方では外構用途での苔需要は今のところ全く無いとのこと。屋上緑化など、マーケット開発はこれからとのことだが、、、。「コケ」って言葉では、あまりいいイメージないけど、コケが密集してる場所はフカフカで気持ちがいい。そんな場所で仰向けになってコケ浴なぞもしてみたい気がした。
お昼は名物岩魚料理をいただきました。
令和4年7月22日(金)、刈田総合病院での検診を済ませ、初めての遠刈田温泉にやってきました。旅館は建物は古いけど往年の歴史を感じさせるような、松川の流れを望むでっかいガラス越しの眺望。そこに近年カウンターを作ったのでしょうか。いい感じで景色をずーっと眺めていられます。こんな所で仕事ができたら、さぞ捗るだろうなと思ってしまいます。
令和4年7月21日(木)
気仙沼魚市場近くのホテルに一泊です。父親の4回目新型コロナワクチン摂取の付き添い。明朝は私の定期検診が宮城県仙南地方160Km 先の刈田総合病院であるので、今晩は解放してもらいました。
気仙沼魚市場、夜はイルミネーションがあるんですね。赤、緑、青、紫などゆっくり変わっていきます。明るすぎずボーッと眺めていられます。
このホテルには初めて泊まりました。シンプルでいいです。近くのみしおね横丁に行ってみたいな、と思っていましたが、イオンで旨そうなお寿司を見つけたので、日本酒とともに部屋でゆっくり呑むことにしました。明朝の検診は「どうにかなるさ」気分。
そして翌日血液検査、見事当たりました!中性脂肪の値が400を超えて、脂質異常の薬が増えることになりました。
1年前から上昇傾向にあったものの、去る6月上旬の職場での定期検診では下がっていたので、全然問題無しの気分で検査結果を待っていたのにがっかりです。も一回やり直し。
ちなみに、魚市場に併設の商業施設の1階で、かつおラーメンいただきました。食べてる途中、味変で鰹節入れて下さいと、画像の通り鰹節が添えられました。海藻いっぱい、これで700円台だったと思います。コスパ良くないですか?スープも美味しいかったです。
半年ぶりのアップロードになりました。昨年度末は大河原町、丸森町で発生した豚熱対応やら新型コロナウイルスで多忙な保健所支援のための動員に翻弄させられました。特に豚熱は3交代制での動員で、昼夜が逆転する場面もあり、食生活もガタガタ。健康センターによるメタボ対策プログラムもガタガタ!全くやる気が無くなる事態に。ストレスの発散はやっぱり食事。こんなに食っちゃいけないのは分かっているけど、食いたい、食わずにはいられなくなる。安易なのは、そう「ラーメン」だ!
令和4年2月8日(火)「もちもちの木」白石蔵王店の「あごだし中華めん」いただきましたぁ!
宮城県川崎町支倉地区にある、洋食屋さん。廃校となった小学校を改装して営業しています(週末のみ)。建物内では、県内の特産品や地元野菜直売などを販売しています。体育館はワイナリーに。
400年ほど前に伊達藩遣欧使節団として欧州に渡った支倉常長が、日本人で初めてチョコレートを食べたらしく、そのことにあやかって、こちらではカカオ入りのカレーが名物になっています。
お味は、他のカレーとの違いが感じられず、個人的には、もう少しカカオ感とスパイス感があってほしいな、と思いました。でも、付け合せの野菜はどれも美味しく、地場のとれとれ感があってとても美味しかったです。
職場の健康診断(6月)で、その時ばかり突発的に血圧が高く、高血圧を指摘され、昨年同様健康管理プログラムを強いられる可能性があったので、今年は、さっさと10月に刈田総合病院への通院を決めた。医者は私の平常の血圧データと血液検査結果を見た上で、この程度の血圧では高血圧症とは言えないとの見立てではあったが、私は、県庁の総務部が心配して、電話で今年も「健康管理プログラム」を強いてくることから、薬を処方してほしいと懇願。アムロジピン5mgを処方してもらうことになった。昨日は、2回目の診察。まずは血液検査。何度やっても針を刺されるのは苦手。結果、酒飲み指数のガンマジーティーピーは正常範囲内になり改善するも、中性脂肪には変化なし(実は、今回高血圧の他に、中性脂肪も高かった)。正月というよりも、豚熱のための緊急動員で食生活が乱れ、揚げ物中心の食生活が重なったためということで、引き続き経過を見ていきましょう、とのこととなった。そして、たまにの保養で温泉へ。
←秋保温泉の華乃湯客間から、ご来光を拝む
🐖さんのおかげで(🐖が悪いわけではないのだけれど)、正月らしい正月も過ごしていなかったので、一晩ゆっくりさせてもらいました。
今日のお昼は「銀座食堂」。宮城県は仙台の南にある蔵の街、村田町にあります。たまたまの通りすがり、銀座に惹かれて入ってみました。店内は昭和の中期を彷彿させる佇まい。小上がりがあって、飯台があって。画像には写っていませんが、この右の方には、小窓があって、そこからラーメンがおもむろに出て、小窓際の棚に置かれる。その下には、潜って出入りする扉があって、お姉さんが厨房から出てきて、棚に置かれたラーメンをテーブルまで運んでくれる。昭和レトロとは関係ないけど、なんとここのメニューは麺類のみ。カツ丼とカレーライスぐらいあってもいいのにと思いつつ、、、、、
新型コロナとか、スッキリしない年明けではありますが、跳ね返して楽しく過ごしてまいりましょう。今年もどうぞよろしくお願いします。
私もいよいよ還暦!
今度は大還暦目指しましょう。
豚熱に罹った🐖の殺処分に係る動員があり、今年は元日から出勤。この年末年始は、豚に始まり豚に終わりました。
ここ宮城県大河原地方では昨年末から、大河原町と丸森町の豚飼育場から豚熱が確認され、合わせて2万頭近くの🐖が殺処分となりました。県内各地の宮城県職員が動員され、その処分にあたりました。私より年上のプロパー職員さんが、初めての経験だと言っていましたので、宮城県職員4年目の私が体験できたことは、処分された🐖には申し訳ないですが、運が良かったんだと思うことにします。