
志津川の防災対策庁舎
あの日から3度目の3月11日。震災から半年ほどしてから高校の同級生がここで亡くなったことを知りました。私が学生時代を過ごしていた福島に、彼は遠路オートバイで立ち寄ってくれました。また会おうぜ、と言いながら30年が過ぎ。この日は彼の命日。一緒に酌み交わすこともなかった酒と花をもって初めてこの日に訪れました。オートバイを降りてヘルメットを外しながら近寄ってくる彼の姿が今でも思い出されます。
そして生まれ育った気仙沼市鹿折へ。来るたびに景色が変ってるように思います。土地の嵩上げが始まった。街にもう昔の面影はありません。
朝は呼んでる田んぼ道
カモメの群れがまっている
仲良く行こう学校へ
桜吹雪のあの中へ
太平洋の風受けて
校舎の光あたたかい
(鹿折小学校校歌)
下の上段の画像は、浪板から鹿折川を挟んだ対岸の浜町辺りを写したものです。瓦礫もきれいに、そしてなんにもなくなりました。下段は大浦辺りから内湾を撮ったものです。
今日は33年ぶりに気仙沼在住の高校時代の同級生2人にも会うことができました。共に14時46分から黙とうを捧げ、近く一杯やろうといいつつ。
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