三陸の大津波から6年が経ちました

筆者の母親が先月2月23日に亡くなり、葬儀後の父親の様子を見に3月4日に気仙沼へ向かった。父親が住む今の家は気仙沼階上にあるが、筆者は気仙沼の鹿折に生まれ育ち階上の家には住んだことがないので実家としての思いがないこともあり、自分の生まれ育った鹿折地区に行ってみた。分かってはいるが馴れ親しんだ町並みはなく、鹿折川に沿って通った通学路も殆ど改修の対象となっていて、断片的な思い出をとどめるだけとなっていた。。筆者の生まれたところは浜町。気仙沼湾に注ぐ鹿折川河口にあった。工事で接近できず、鹿折川対岸に渡る。黄色の矢印の辺り。

小学校2年生の12月に浜町から錦町に引っ越した。多分この辺じゃないかと思うが、全く面影がないので見当がつかない。

鹿折川沿いの道。護岸工事?いやここにも堤防かな。かつて小学校への通学路。川沿いに桑の木が生えていて、下校時には桑の実を食べながら帰った。家に着くころには口の周りはムラサキ色。

柔道やったり、卓球やったり、祭りの太鼓を叩き笛吹いた公民館はどこへやら。変わらないのは安波山、鍋越山だけ。。。いや、安波山中腹はちょっと禿げている。

階上と大谷の中間辺りの海辺。防潮堤が着々と。

磯が鉄筋コンクリートに変わる。

 

筆者の子供たち3人は福島で生れ育った。彼らの故郷が無くならない様に、、。